先日ある画家さんのインタビューを読んでいると、技術というのは見えないもの、という記事がありました。「見えないもの」それは「ないもの」とは違い、あるけれど見えないということ。
技術がなければそこには作品は成立しません、なので作品をつくるにあたって技術は不可欠なものだけれど、それが「技術である」「こんなテクニック」と見えてしまうのではなく、見えないままに作家の意図を見る人に直接届くようにすることが「技術」ということを話されていました。
なるほど。
確かに。印象を強くするためのものだったら技術が前面に出ても分かりますが、これ見よがしにテクニックありきという作品では、インパクトがあっても作家の意図が届くかと言ったらどうでしょう。
すんなりと作家の意図するところに導かれるものが技術。
そのお話は、絵画だけではなくどんな作品にも共通するものだと思います、そしてもちろん写真に関しても。
「見えない技術」は技術が高ければこそ実現できるもので、実際に作品を制作するときに技術が見えないで作品そのものがまっすぐ見えるというのは難しいものです。アート作品と商業作品では、技術もそれぞれ違うでしょうが、やはり伝えたいことをより伝わりやすくするためにはそこに技術は見えないようにする。つまり「みせない技術」が鍵になってくるという訳です。
写真撮影をする際にたくさんの技術を修得しようとします。それはより思った通りに撮影するために必要なことで、ある意味反対のお話ですが、「みせない技術」を意図的にまたは自然に身に付いてくることがプロということなのかもしれませんね。